惜別 Russell M. Solomon
米TOWER RECORDSの創業者ラッセル・ソロモン氏が亡くなった(米国時間3月4日)。92歳というからドーナツ盤よりも早くに生まれたことになる。サクラメントの映画館内にあった父親の経営する売店で「レコードコーナー」を任されたのが1941年、16歳のとき。ビル・ヘイリーが現われるはるか昔の出来事。その後、本格的にレコード販売に乗り出したのが1960年。そこから半世紀。特等席から眺めるロックンロール・ヒストリーはどんなふうに映っていたのだろうか。
1981年。渋谷に「タワーレコード」が上陸した。「輸入盤店」という呼び名が今となっては可笑しい。私は84年に大学受験ではじめて訪れた(受験は全敗した)。シュリンクラップとビニールの香り。それにレッドオンイエローのあのロゴがなにしろ強烈だった。遠くに看板を発見し小走りに駆け寄ったり、レジでLPをビニール袋に入れてもらう瞬間がたまらなかったり。斜向かいの吉野屋で牛丼を食べるのがルーティンともなった。
画像は80年代に全国各所に存在したフランチャイズ店のショッパー。福岡KBC店は文字どおり九州朝日放送の「タワー」の下にあった。大阪難波店は駅構内を迷子になること三回。四度目から迷わず通えるようになった。SLAUGHTER AND THE DOGSの87年のLP再発を模造紙四枚を張り合わせてディスプレイするなどパンクスピリットに溢れた店だった。"BUNKADO"とあるのは名古屋のショップだ。書体がそれぞれ微妙に異なるのが大雑把な時代を映している。
米TOWER RECORDSはCD需要の冷え込みとネット配信のあおりを受け2006年に倒産。インディーズレーベルが相次いで暖簾を降ろしたのもこの頃でさみしい時代のはじまりとなった。巡り巡っていまレコードブーム。まったく空々しい。買ったばかりのLPを手にぶら下げ、強風にあおられ、雨に打たれ、満員電車でもみくちゃになりながらも死守した。能動的にがむしゃらに音楽を欲した。 訃報に接し、もう戻れない時代なんだということを痛感させられる。
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