惜別 古葉竹識
広島東洋カープを4度のリーグ制覇、3度の日本一に導いた名将、古葉竹識氏が死去した。85歳。広島球団が16日発表した。
終戦から30年の節目にあたる昭和50年、開幕から15試合で辞任したジョー・ルーツ監督の後を継いで監督に就任。南海コーチ時代に培われた頭脳と闘志で「赤ヘル旋風」を巻き起こし、チームを初優勝に導いた。昭和54、55、59年には日本シリーズを制覇。黄金時代を築いた。
昭和55年、広島市民球場で巨人戦を観た。試合後、監督室に招かれ、目の前で色紙にサインを書いていただいた〓写真〓。古葉氏と親交の深かった宇部市の会社社長Hさんの計らいで実現したもの。中学三年生の私は夢見心地だった。
山本浩二が江川卓から三本の本塁打を放ちながら落とした試合であり、H社長は記者さながらの厳しい質問をし、監督は監督でほんとうに悔しそうな「監督談話」だった。そのあまりの迫力に震え、用意してきた質問の数々を飲み込んだ。同時に新聞記者になりたいとこのとき強く思った。夢叶わず今もほろ苦い思い出とともにこのシーンがある。
広島監督を勇退後、昭和62年から三年間、横浜大洋で指揮を採った。結果は5位、4位、最下位。最終年の平成元年に責任を取って辞任した。
ホームでの最終戦後、選手たちが監督を胴上げをしようとしてこれを固辞したシーンが強く印象に残る。胴上げは勝者だけに許されるもの。ベンチ裏に消えてゆく名将の後ろ姿に涙した。
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