オクタキの野球コラム 2023年12月号

 Yesterday's legends, tomorrow’s heroes

 押入れのみかん箱から取り出した「アサヒグラフ」が遠い夏の日の記憶を呼び覚ます。甲子園大会が終わり一週間後に発売される特集号。今年の表紙は誰だろうーー。発売日の夕刻、部活を終え、藤中野球部のユニフォーム姿のまま近所の石川書店へと自転車を走らせる。
 B4版見開き一枚でみせる情景描写。勝敗を決した瞬間をとらえた心理描写。ものすごい集中力で読み耽った記憶が今も心のどこかにある。

 引越しのときに映画のパンフレットが出てくるとつい没頭して作業にならないとはよく言われるが、甲子園雑誌もそっくりそのままである。とりわけ強く印象に残っているのは中学生の視線でとらえた高校生のヒーローたち。つまりは先輩たち。昭和53年から55年にかけての甲子園大会に今なお畏敬の念を抱く。

 大阪・PL学園が初優勝した昭和53年60回記念大会を収めた一冊がここにある。何年周期かでふと手に取りパラパラとめくり、ピタリと手が止まるのは、やはりこのページ、この選手である。
 高松直志。秋田・能代高校のエース。思い出のなかで生き続けるレジェンドその人だ〓写真①〓。

 右足を大きく頭よりも上にあげる。両腕までも天高くあげる。付いたあだ名が「星飛雄馬」。名将・尾藤功監督率いる和歌山・箕島高校と初戦でぶつかった。
 箕島・石井穀(のちに西武)との息詰まる投手戦。猛打で鳴る箕島の「黒潮打線」が高松を打ちあぐねた。被安打3、8奪三振1四球完投。しかし1回の立ち上がりにエラーがらみで与えたスクイズの1点、いわゆる「スミイチ」で敗戦投手となった。
 高松は高校卒業後、社会人野球の名門・電電東北(現NTT東北)に進み野球を続けたが、プロのマウンドに登ることはついになかった。


 あの夏から三年後ーー。高松と瓜二つな投球フォームが海の向こう米大リーグに現れる。ロサンゼルス・ドジャースの新鋭、フェルナンド・バレンズエラ〓写真②〓。メキシコ生まれの21歳。金太郎のような風貌でレスラーのような体幹。両腕を空高く突き上げ、右足を蹴り上げ、ついでに満点の星を見上げ、一気に放たれる豪速球で並み居る強打者からばったばったと三振を奪った。

 雑誌のなかでいち早くバレンズエラの特集を組んだのが「Number」。こちらは米国のスポーツグラフィック誌のスタイルそのままに「スポーツライター」の職業をこの国に確立した。ちなみに宇部では宇部興産本社道路向かいにあった元祖コンビニエンス深夜ストア「カンコー」が最初に取り扱った。


 時は流れて令和五年。破茶滅茶なフォームで豪速球を投げる投手はすっかり姿を消した。教科書にない投げ方は即刻指導を受ける時代。「ピッチャー、大きく振りかぶって」は死後となった。
 一方で選手の身体は時代とともに大きくなり、佐々木朗希(千葉ロッテ)やかつてのノーラン・ライアン(元テキサスほか)のように大きく足を上げてバネを効かせるパワーピッチャーも増えてきた。筆者にとっては息子世代ーーと言いかけてはたと気づく。ヘタをするとそろそろ孫の世代。みかん箱はどうやら玉手箱であったか。
 
 人々の人生のなかに野球がありレジェンドたちがいる。これからも変わることなく。途轍もないヒーローの出現をこの目で。


文・奥瀧隆志


追記・能代高校出身といえば、通算284勝の野球殿堂入り大投手、山田久志を忘れてはならない。そして秋田県出身というところでは、元日本ハムのツッパリ投手、工藤幹夫のリーゼント頭が目に浮かぶ。昭和53年の全国高校野球選手権秋田県大会は能代高校対本庄高校の対戦。高松と工藤の投げ合いだった。

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