新聞感想
17日付朝日新聞文化・文芸面掲載の記事「筒美京平と歌謡曲の黄金時代/好敵手、都倉俊一が語る」を食い入るように読んだ。かつて切磋琢磨した同世代のライバルの視点から筒美京平の知られざる魅力に迫る。聞き手は定塚遼記者。音楽誌でも通用する博識の持ち主とあって、都倉氏とがっぷり四つに組んだインタビューとなった。
ところがーー。本日21日付同紙におかしな「お詫び文」が掲載された。尾崎紀世彦の「また逢う日まで」に言及したくだりについて。全文を引用する。
「また逢う日まで」は当初、別の題名で別の歌手に提供された楽曲でした。確認作業が不十分でした。
呆気にとられてしまった。
実は「また逢う日まで」には原曲が存在する。さいしょはズーニーヴー(feat.町田義人)というグループサウンズバンドのために書かれた「ひとりの悲しみ」という曲だった。売れずに埋もれていたこの曲を尾崎が歌いたいと申し出て、阿久悠が新たに歌詞を書き下ろし、出来上がったのが「また逢う日まで」ということになる。
都倉氏はこのことをすっかり忘れていたのだろう。「(筒美さんは)彼(尾崎)の歌唱力を100%使いきるような歌にした」と語った。曲を「仕立て直し」した場面からの回想であれば何も問題はないと思えるのだが、読者から苦言が殺到したのだろう。「確認不足」で頭を下げることになってしまった。
今から10年ほど前、地元エフエム局「エフエムきらら」で音楽番組のディスクジョッキーをしていたときに、私はこのズーニーヴーのヴァージョンをオンエアしたことがある。リスナーの誰からも反響はなく、局内も皆一様に冷ややかだった。10年が経ち「ひとりの悲しみ」のエピソードはウィキペディアに堂々紹介され、youtubeへ行けばすぐに高音質で聴くことができる。きのう尾崎紀世彦を知ったばかりの若者が、きょうズーニーヴーに最短距離でたどり着くーー。今回の一件から恐ろしいまでの瞬時情報伝達社会が透けて見える。情報だけを拾い集め中身を見ずに捨ててゆく。そういう時代なのだろう。
インタビューの最後に都倉氏はこんなメッセージを残している。「普遍的なメロディーを書くソングライターという職業作家がいた時代のことが評価され、受け継がれるときが来て欲しい。京平さんもきっとそういう思いがあったんじゃないかな」。音楽とゆっくりと歩む時代が再び訪れることを祈りたい。
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