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たいへんお待たせいたしました。1月後半の営業スケジュールをお知らせいたします。まだ未確定ですが、29日(日)はお休みをいただく場合がございます。確定しましたらお知らせいたします。
日に日に寒さを増してきました。風邪にお気をつけて!

20(金)17時閉店
24(金)17時閉店
31(金)17時閉店
29(日)休日の場合あり ※決まり次第お知らせいたします。

当店は去る11月28日にリニューアルオープンから7周年を迎えました。これもひとえに皆さまのご愛顧の賜物と感謝の気持ちでいっぱいです。12月3日(日)より「創業大感謝祭」を開催いたします。

記念特別展として「エナロイド」のミニポップアップを開催いたします。今秋取扱いを開始した岐阜県中津川市のファクトリーブランド。とびきりに生地の美しいセルロイドフレームが自慢です。新作を含む50本をkozi69書き下ろしイラストと合わせて展示いたします。

他にもanne et valentin 、theo 、EFFECTORなど各ブランド2022-2023新作モデルがこれから随時入荷してまいります。ニューエストモデルをいち早くお試しいただくチャンスです。

11月27日はロックレジェンド、ジミ・ヘンドリックスの誕生日。生誕80周年を勝手にささやかに祝います。宇部市在住のジミヘン・コレクターでたこ焼き「浪速屋」の元店主、今年「たこ焼きキング」で華麗なる復活を遂げた小山賢一さんの秘蔵コレクションを店内に展示いたします。ウッドストックのチケット半券など。どうぞお楽しみに。※入場無料 12月3日(土)〜 12月18日(日)10時〜19時 

●12月3日(土)〜 12月25日(日)9:30〜19:00
●駐車場:店から西へ40メートル、ホルモン「こぷちゃん」道路向かい月極に3台。隣の敷地への駐車はくれぐれもご遠慮ください。
●コロナ感染予防対策:ご来店の際はマスク着用のうえアルコール消毒をお願いいたします。三密を避けるため入場制限となることがございます。眼鏡の下見、ご相談はフリーでご来店いただけますが、事前ご予約も承ります。

 村田兆治さんが亡くなった。9月の羽田空港での出来事がずっと気にかかっていただけに言葉にならなかった。

 ニュース、新聞でその功績が称えられた。右肘の故障から奇跡の復活を遂げた85年シーズンの活躍。引退後の少年野球の熱心な指導。数々の名シーンが映し出される。「サンデー兆治」、「昭和生まれの明治男」、そして「マサカリ投法」。多くの代名詞を残したスター選手だった。

 同時に思い出されるのは82年シーズンオフの「阪神移籍志願」の一件である。カクテル光線に鮮やかに照らし出されるセリーグで晩年の選手生活を望んだが夢は叶わなかった。FA制度も何もない時代。客席もまばらなパリーグで投げ続けた不屈の精神力、プロフェッショナリズムこそが、この人の真骨頂だった。

 写真は79年8月15日。対南海戦、大阪球場、試合前のブルペンでの一コマ。鬼気迫る剛速球を今も体がおぼえている。
11月のお知らせが遅れて申し訳ございません。店主、やや体調不良でしたが、ようやく回復してまいりました。明日からがんばってまいります。

店休日

10日(木)
30日(水)

ほかに数日お休みを頂く場合がございます。詳細は追ってお知らせいたします。


おもしろ画像は米大リーグ、ヒューストンアストロズの5年ぶり二度目のワールドシリーズ制覇を祝して。アストロズは今季ナ・リーグ最高勝率チーム。堂々たる勝ちっぷりでした。方や対戦相手のフィラデルフィアフィリーズはポストシーズンに駒を進めた全12チームのなかで最低の勝率。ルール改正で今季からシーズン2位の全チームがポストシーズン進出を許されることなり、いきなり番狂わせが起こったかっこうです。2位はしょせん2位です。勝者同士の真のぶつかり合いこそを見たいものです。


ヒューストンアストロズは1962年誕生。「世界8番目の不思議」と称された屋根付き球場「アストロドーム」の開場は1964年。のちには世界初の人工芝球場ともなり、アストロズの行くところに発明が生まれました。70年代末に採用されたレインボーカラーのユニフォームには度肝を抜かれたものです。

現・監督のダスティ・ベイカーはかつてのドジャースのスター選手〓写真②〓。ジャイアンツ監督を皮切りに29年間で5球団を渡り歩き通算2093勝は既にレジェンドの域。初めて優勝杯を手にして喜びを爆発させる様子が印象的でした。奥様は大谷翔平選手の大ファンなのだとか。



大変お待たせしました。今月これからのスケジュールをお知らせいたします。

「ご予約制」は一旦なくなりました。いつご来店いただいても大丈夫ですが、短時間の外出などありますため、出来ましたらお電話、メッセージにてご確認をお願いいたします。

過ごしやすい季節になりました。ハロウィンももうすぐ。あの人形も間もなくあらわれますよ。ご来店お待ちしております。

13(木)店休日
27(木)店休日
31(月)店休日
 ヤクルト村上宗隆選手が本塁打を50本の大台に乗せた頃からある心配が頭をもたげていた。プロ野球シーズン最多記録は同じくヤクルトのバレンティンが13年に記録した60本。当時も今も称賛されることのないこの大記録をメディアがどう扱うのかーー。心配はそのまま現実となった。
 
 64年に王貞治が記録した55本こそが日本記録だとする考え。外国人選手はあくまでも「助っ人」、出来れば記録はご遠慮願いたいという思いが露骨に見える。
 現場もそうだ。タフィ・ローズ(大阪近鉄)が01年に王の記録に肉迫した際、敬遠攻めにあったことは今なお記憶に新しい。ローズの55本もバレンティンの60本も「見なかったことにしておこう」ということらしい。

 ところ変わって米大リーグではことしも大谷翔平選手が大活躍。「二刀流」として1918年のベーブ・ルース以来となる「同一シーズンでの10本塁打以上と10勝以上の達成」を讃えられた。「大谷は日本人なので参考記録。ベーブ・ルースこそが世界記録」と報じたメディアはひとつもない。ファンからも異論は聞こえて来ない。

 いついかなるときもフェアプレイであること。野球の魅力であり、野球の在り方だろう。 「大リーグに追いつき追い越せ」ではじまった日本プロ野球もうすぐ100年の節目のときを迎える。紡いで来た歴史を正しく取り扱う責務がメディアにはある。「王貞治を抜き歴代2位となる大記録」となぜ言えないのだろうか。それでは称賛に値しないだろうか。

大変お待たせしました。8月のスケジュールをお知らせいたします。

8月6日(土)7日(日)の両日は既報のとおり宇部市浜町の「GLYCINES(グリシーヌ)」にてアン・バレンタインのポップアップショップ開催のためお休みをいただきます。皆さまお誘いあわせのうえグリシーヌへお越しください。

他にもお休みをいただく場合がございます。その際はまたお知らせいたします。
■グローブスペックスのスタートは98年。デザイン性の高いアイウェアが世界中から集結した店内はめまいがするほどの輝きを放っていました。アン・バレンタインもそのひとつでした。

ーーアン・バレンタインとの出会いについて詳しく聞かせてください。

服部「出会いは99年です。(ご夫婦で共同オーナーである)アランさんとアンヌさんがIOFT(*年に一度開催される日本最大の国際眼鏡展示会)に出展することが決まった時に、日本でルノアの輸入代理店をしているグローブスペックスにアン・バレンタインを託したいとのオファーがあり実現しました」

ーー最初はトゥールーズ(*フランス南部、スペインとの国境近くの都市)でショップとしてスタートされたそうですね。

服部「そのとおりです。80年代当時、フランスには女性が楽しめるアイウェアがなかったことがブランド立ち上げのきっかけとなったそうです。アンヌさんはもともとアートの素養のある方で『顔をキャンバスにして絵を描くように』とよく言われていました。女性の生き生きした表情を引き出したいという思いが独特なやわらかいデザインを生み出しました。どこにもないものを作りたいという思いは強かったようです」

ーーたしかに。このブランドにしかない個性がたくさんありますね。メタルとプラスチックのコンビネーション、例えばMシリーズ(*1)の精巧な組み合わせは寄木細工のような美しさがあります。

服部「メタル(フレーム)に関しては鯖江の『某老舗メーカー』さんに製造をお願いしています。実はこれには面白いドラマがあったんですよ。当初、別の会社に製造をお願いしていたんですが、アン・バレンタインのデザインを形にするのは非常に難しいことから断られてしまいました。他の会社をあたってみたもののダメで、アンヌさん、アランさん、そして僕の三人は『鯖江シティホテル』で途方に暮れていたんですね。そこへたまたま某老舗メーカーが納会をされていて、社長さんとロビーでばったり。『どうしたんですか?』と聞かれて、実はかくかくしかじかじかでとお話したところ『いまちょうどウチの金型の職人がここに来ていますから!』と。なにしろ納会ですから職人さんも全員がそこにおられて急きょ会議が始まったんですよ。幹部の人たちは酔っ払ってヘベレケになりながら(笑)。こうしてアン・バレンタインのMADE IN JAPANモデルが生まれました。このことはアンヌさんにとっても大切な思い出となったようで、感謝の思いはアンヌさんが引退された今も、現在のメンバーたちによって受け継がれています」

ーーフランス生まれのアートと鯖江の世界一の眼鏡技術。素晴らしい誕生秘話ですね。本国でアン・バレンタインはどんなふうに受け入れられていますか?

服部「まず、アン・バレンタイン には独自のセールス・メソッドがあります。直営店では店頭に商品を一切陳列せずに、お客様と会話を重ねることでその方に最も適したフレームをお出しするというスタイルです。そもそもフランス語は形容詞がとても多いんですね。たとえば『かわいい』にしても、どうかわいいのかを表す言葉があります。言葉による高揚感とカラーへの好奇心。眼鏡選びとは、違う自分探しの旅だとはよく言われますが、想像をはるかに超えた自分に出会えることがアン・バレンタインの最大の魅力です。日本だとどうしても売れるものを作りがちです。過去にあったものをいま掛けることがカッコいいというような。それだと想像は超えないんですよね」

ーー納得です。日本ではどんな人たちに掛けてほしいですか?

服部「特別にオシャレな人ではなく、ふつうの人たちをちょっと素敵にするためのものーー。これは本国でもよく言われる言葉です。もうちょっと明るく見せたい。若く見せたい。そんな思いをかたちにしてくれる眼鏡だと思います」

ーー山口県にはどんなイメージをお持ちですか?メッセージと併せてお願いします。

服部「山口県は偉人が多いからなのか優秀な方が多い印象。私の知っている山口の方はみんな頭が良さそうに見えます。眼鏡もきっと似合う方が多いのではないでしょうか。今回は皆様の想像を超える楽しい眼鏡のお見立てができればと思ってます。お会いすることを楽しみにしています!」


あとがき

服部さんにはじめてお会いしたのは2001年のIOFT(*東京で年に一度開催される世界規模の眼鏡展示会)に於いてでした。当時、私は家業の眼鏡店を自分のアイディアでリニューアルさせることに暗中模索の日々でした。ルノアとアン・バレンタインを擁するグローブスペックスは秘宝の在処に見えました。

まだ青写真さえ描けていないのに、自信満々に商談の席に着きました。結果はーー撃沈でした。眼鏡に懸ける思い、作り手の情熱をユーザーに伝える力、すべてにおいて及第点に達していませんでした。それでも服部さんは私の拙い話を聞いてくださり、最後には熱いエールをくださいました。それから15年後ーー。呆れるほど長い年月を要しましたが、100%オリジナルな発想で、店を自分のカラーに塗り替え、アン・バレンタインを取り扱えることになりました。

二度目となる「リベンジ商談」の席で、服部さんがお話されたメソッドの数々は今も手帳に荒々しい筆跡のまま残っています。家内がアン・バレンタインに一目惚れだったことも大きな力となりました。商品を仕入れる際に「売れそうだから」は一度もなく「好きだから」が唯一の判断基準であることはこれからも変わりないように思います。

今日まで多くのお客様にアン・バレンタインをお買い求めいただきました。心よりお礼申し上げます。「派手過ぎませんか?私に似合っていますか?ほんとうですか?」。不安気だった女性が「娘がとてもいいと言ってくれました」と笑顔で報告していただける瞬間は何物にも代えがたく、心の底から嬉しくなります。アン・バレンタインの特徴として皆さんとても丁寧に眼鏡を使われています。愛着のほどが伝わり、また嬉しくなります。

「眼鏡選びとは、違う自分探しの旅である」。名言です。皆さんぜひ服部さんとお話ししてみてください。まだまだ暑い頃ですがテラスには鍋倉山から心地よい風が吹いています。新しい一日となりますように。


文:奥瀧隆志
イラスト:kozi69

今回特別ゲストとして、アン・バレンタイン日本代理店「グローブスペックス」からエグゼグティブマネージャー・服部雅人さんが二日間来場。皆さまに眼鏡をお見立ていたします。

服部さんってどんな人ーー?アン・バレンタインを日本に導いたその人です。一見クールな印象なれど実は冗談が大好き。ウィットに富んだトークと経験に裏打ちされたセンスでみるみる女性を変身させます。もちろん男性も。そんな服部さんに恐れ知らずにも電話インタビューをお願いしました。いざ突撃!


ーー服部さんといえば上品な山の手言葉が印象的です。どんな青春を過ごされましたか?

服部「いえいえ、私は下町の蔵前で生まれましたので、べらんめい口調のほうが馴染み深いです。子供の頃は、どちらかといえばませガキでした。早くから洋楽にハマり中学ではストーンズ、バッドカンパニーなどロック三昧。その後は70年代のブラックミュージック全盛時代にクラブ活動(ディスコ)が始まり、赤坂、六本木界隈を夜な夜な彷徨っていました」

ーーディスコブームど真ん中ですね!羨ましい。

服部「28歳でNY に移り住み、そこでも本格的なクラブ活動を継続していました。面白かった経験としては、渡米して数ヶ月後に黒人の父と日本人の母をもつ女性と知り合いました。彼女を誘ってリンカーンセンターでやっていたドラマティックスのコンサートに勇んで出かけたんですが、会場に来ていた客のほぼ全員が年配者で、中には居眠りしているヤツもいるありさまでした…。自分的にこのコンサートは当時日本のディスコの最先端という認識でしたので、めちゃくちゃショックを受けました(笑)。さながら日本でいう五木ひろしショーの状態でした…。彼女は日本がかなり遅れている国だと思ったらしく、真剣に心配してくれて、僕にRUN D.M.CのCDをプレゼントしてくれました。当時ネットがまだなかったのでカルチャーのギャップがかなりあったことは今でも忘れられません!」

ーー思わぬかたちでRUN D.M.Cゲットですね。眼鏡人としてスタートとなった出来事について聞かせてください。

服部「学生時代に好きだった原宿のBEAMSのそばにクラフツマンシップというメガネ屋がありそこに通ってました。その店は某老舗眼鏡店の代表が家業を継ぐ前に、ロンドン留学から帰国した後のわずかな期間だけ営業していた知る人ぞ知る店でした。その後、その方はクラフツマンシップを閉めて暖簾を継ぎ現在は確固たるスタイルを持った眼鏡店の経営者として今も活躍されています。当時まだアイウェアのセレクトショップが無い時代にクラフツマンシップは大変感度の高い店であったため私は大変刺激を受けてました。そして自分も将来こんな素敵な眼鏡店を作りたいと思うようになりました」

■かつて原宿にあった眼鏡店『クラフツマンシップ』に多大な影響を受けた服部さん。その後、国内の眼鏡店に就職。眼鏡人として第一歩を記します。同じ会社の2年先輩に現グローブスペックス代表・岡田哲哉さんがおられました。89年、米国支店勤務を命ぜられます。

ーー米国時代のいちばんの思い出を聞かせてください。

服部「先述のガールフレンド、ダイアンが個人的には一番刺激的な体験でした(笑)。ニューヨークの眼鏡店に赴任したことが一番の思い出です。セールスマネージャーはロイス・ブロードウィンさんという60代の女性。カリスマセールスレディーでした。

ーーどんなふうにカリスマだったんですか?

服部「日本の眼鏡屋では考えられない、喩えるならホテルのコンシェルジュのような接客をされる方でした。たとえばダスティ・ホフマンのような人たちが彼女と話をしに、ただそれだけのために店に来るんです。ロイスさんは『ハーイ!ダスティ』とオーバーに出迎えていきなりキスをして。まるで映画のワンシーンを観ているようでした。僕たちは裏方でしたが、ロイスさんに言われてダスティさんにフィッティングをして差し上げていました」

ーー年表に照らし合わせると「レインマン」で絶頂期のダスティ・ホフマン…。それはそうとう緊張の場面ですね。私がIOFTで初めて服部さんに面接をしていただいたときの緊張に勝るとも劣りません…。どんなお話をされたんですか?

服部「ほぼすべて身の上話ですね。お付き合いしている女性の話とか。ほら、眼鏡屋で人生相談ってよくあることじゃないですか。その外国版を見ているようでしたよ(笑)」

ーーたしかに。私の父もよく人生相談を受けていました。中には結婚相談をした女性も。当時、ニューヨークの他の眼鏡店はどんな雰囲気でしたか?

服部「赴任した年に『ヴィジョン・エキスポ』(*ニューヨークで年に一度開催される眼鏡の国際展示会)を見に行き衝撃を受けました。日本ではセレクトショップというものがほとんど存在しなかった時代にニューヨークではすでにアイウェアのシーンが確立されていました」

ーー“紀元前”の貴重なお話です!

服部「89年はちょうどオリバー・ピープルズのデビューの年でもありました。しかしブースは白い壁で囲われていてアポイントなしには中の様子を窺うことが出来ませんでした。それゆえにオリバー・ピープルズっていったい何だ?という関心につながったことを記憶しています。余談ですが『ヴィジョン・エキスポ』が行われる会場はイーストエンドにあって、めちゃくちゃ治安の悪いところでした。信号待ちをしているといきなり毛皮のコートを着た娼婦が助手席に乗り込んできたり。展示会場にたどり着くまでが命がけでした(笑)。そうした危なかったことを含めて色々なことをニューヨークという街から吸収しました」

後編につづく

インタビュー・文:奥瀧隆志
イラスト:kozi69

当店では来たる8月6日(土)7日(日)の両日、宇部市浜町のカフェ&ギャラリー「GLYCINES(グリシーヌ)」にてAnne et Valentin(アン・バレンタイン )」のポップアップショップを開催いたします。


アン・バレンタインは当店リニューアル2年目の2016年より多くの皆様にご愛用いただいておりますフランスのブランドです。NHK「世界はほしいモノにあふれてる」眼鏡編で一躍有名となり、女優の石田Y子さんがプライベートで着用されたことでも密かに知られています。


今回はアン・バレンタインの眼鏡、サングラス600本を展示する全国的にも超プレミアムな展示会です。会場となるグリシーヌはフランスにゆかりあるカフェ&ギャラリー。雰囲気は最高です。


ご自由に掛けて、写真を撮って、楽しんでいただく二日間。コロナ感染症対策をしっかり行い、皆さまに楽しんでいただけるようベストを尽くします。ご来場をお待ちしております。


■■大事なお知らせ■■

※展示商品は全てサンプルです。受注生産のため3週間〜2ヶ月程度お日にちをいただきます。ご注文頂いた眼鏡は「おくたき」にてお渡しします。

※商品到着後、「おくたき」にて検眼させていただきます。ご遠方の方のために当日の検眼も可能です。配送も承ります。

※誠に申し訳ございません。同業他社の方の参考見学はご遠慮願います。


■■event■■

①アン・バレンタイン日本代理店よりエグゼクティブマネージャー服部雅人さん二日間来場。眼鏡をお見立ていたします。

②HOYAビジョンケアカンパニーより手島陽子さん二日間来場。女性のためのレンズ相談会を開催。「見え方」「見られ方」。いま貴女にいちばん必要なレンズをご提案いたします。もちろん男性も!

③ヴィジュアルアートはご存知kozi69。「girl meets anne et valentin」と題したギャラリー参加型アートを展示。グッズも盛りだくさん。

④もちろんGLYCINES(グリシーヌ)も!カフェにてアン・バレンタインの故郷フランスにちなんだメニューが登場。二日間限定です。


とき:8月6日(土)7日(日)11:00〜18:00

ところ:GLYCINES 宇部市浜町2丁目12-39 聖仁会ビル(旧田中外科)3F

TEL:0836-39-9656/MAIL:glycines@arts-life.com

主催:めがねとけいは おくたき

TEL:0836-21-6257/MAIL:info@octaki.net 

大変お待たせしました。
7月のスケジュールをお知らせします。

20日(水)店休日
27日(水)店休日
26日(火)16時閉店
kozi69の五日間が終わった。お気に入りの「女の子」をバックに、作者と記念撮影をして、グッズを買って帰るーー。そうしたいつもの光景とは少し違う。アナザーサイドを存分に見せたエキシビジョンだった。


kozi69は1981年宇部市生まれ。デザイン会社を辞め、家にこもって毎日イラストを描いていた2003年のある日、兄でロックプレイヤーの中村大(当時デカダンス/現ロズウェルズ)からの依頼でフライヤーを描くようになった。その名のとおりロックテイストあふれるイラストはこの街の与太公どもの心証を良くした。

スコットランドの民族衣装で、パンクのアイコンでもある「赤のタータンチェック」を独自のモチーフとし、ボーイ・ミーツ・ガールな世界を描き続けた。年末の宇部市文化会館での作品展で若者たちが「赤チェック」を身につけて集う様子が風物詩となった。

2015年暮れ。宇部市でユニークな催しが行われた。県内外のアーティストがJR宇部線東新川駅に集結。駅舎を舞台に絵画、彫刻、インスタレーションなどを創作、展示する試み。オーディエンス参加型エキシビジョンとあって多くの来場者で賑わった。「Circus」と題されたこの催し、仕掛けたのは画家で当時宇部フロンティア大学准教授の原井輝明氏。kozi69もアーティストの末席に名を連ねた。

上り線ホームの待合い小屋、内側の壁全面を使い、ホームに到着したクモハ123系の様子を100/100スケールで描いた。題名を「TRAIN-TRAIN」。窓の向こうにはいつもの女の子たちがいる。沿線の高校生たちの日常が活写されたこの巨大壁画は、電車が着くたびに響めきが起こりたちまち評判を呼ぶ。これが例えば原宿駅のホームや渋谷109の土手っ腹に描かれたとしてもおかしくなかった。クオリティへの評価。しかし、そんなことではないのだ。宇部を舞台に宇部の若き群像を描くことの斬新さ、ひいては尊さをこのとき初めて思った。

もうひとつのエポックが2018年にある。いつもの女の子のうしろに見慣れた風景が描かれた。この年オープンしたばかりのカフェ&バー「GyaAtee(ギャアティ)」。可笑しくて可愛らしいバーチャルリアリティに拍手喝采となった。2作目は「養老乃瀧」。3作目は「宇部井筒屋」。さぁ、次はどこだろうーー。新作発表を今や遅しとネット上に皆が張り付いた。ならばと全作品を一気に披露する「私たちの宇部」と題したパーティーがギャアティにて行われた。私の店が描かれているなど思いもしなかった。ギャアティの希(のぞみ)さんからの「おくたきさん!早く来て!」のメールで駆けつけた。「田村歯科の女の子が一番可愛い」。「松原酒店のモデルは誰だろう」。ライブハウスの熱気さながらのエンドレスな夜となった。

この企画はその後「まちかどシリーズ」と題され、各方面で引っ張りだことなる。昨年末、宇部市寿町「株式会社元山商会」新社屋建設の際に工事フェンスに7作品が採用され道ゆく人々を楽しませた。誰にでも思いつくアイディア。しかしkozi69にしかない世界。ガソリンだけでは動かないヴェスパのように、ウィットと温かみの混合比の妙を見る。

「シンプルなポップ」VOL.4を振り返る。シルクスクリーンプリントだけで挑む初の作品展。シルクを始める動機となったのは「アナログ(アート)に対する長年のコンプレックス」だと言う。例えば油彩画と比べ、デジタルアートは低く見られがちなのか「絵筆を持ったことのない人さえいる」と揶揄されることも少なくない。むろんkozi69のそれはアナログなスケッチあってこそのデジタルだが、作品を無限に複製できることは確かだ。描くことへの存在証明を求めるかのようにライヴドローイングを積極的に展開してきた。デジタルで描きアナログで抽出ーー。インクまみれになりながら世界にひとつを生み出す。まさしく新規軸だった。

シルク一版につき一色のみプリントされる。版を重ねることで「総天然色」を生み出すが、デジタルのように細かいディテールは到底不可能。ゆえ以前よりも地味な色世界を想像したが、目に飛び込んできたのはウルトラ総天然色だった。蛍光インクを使い5版で描いた「girl/more jelly beans」が展示の核となった。同じく蛍光を使った「girl/LET’S 09」は80年代のムード。同時代のアイコンである「LET’S 09(レッツオーナイン)」をしれっと登場させている。スクリーントーンによる印影は江口寿史経由のリキテンシュタインを想起させる。

宇部愛はここでも貫かれる。パークレーン宇部の自販機で誰もが一度は飲んだ「フジヤマ飲料」のスマックをアンディ・ウォーホル調に表現。新天町商店街はノートルダム大聖堂のような荘厳さがある。そして今回の舞台となる「GLYCINES(グリシーヌ)」をイメージした「藤に杜鵑」は版ズレによるわびさびを湛えた。

モチーフの可笑しさと技法の楽しさ。そして作品の美しさ。真正面から見て、斜めから見て。鼻を近づけインクを嗅いで。一歩下がってまた見て。オーディエンス思い思いの楽しみ方があった。

最終日、最後の来場者は高齢のご婦人お二方。御歳90歳。この日の仕事を終え、勤め先の若い同僚方々とともに。息を切らして三階まであがって来られたシーンが今も頭から離れない。Tシャツと「水筒(=タンブラー)」を手にして少女のような笑み。やさしさに包まれkozi69の五日間が終わった。