惜別 八代亜紀 (雑感として)



 八代亜紀さん(以下敬称略)が亡くなられたことへの世間の反響の大きさに驚く。それはテレビやネットから伝わる言葉よりも、むしろ周りの音楽仲間たちの肉声の方こそリアルに響く。そう言えば五年まえに宇部でのライヴレヴューをsnsにあげたところ「おいおい、どうしてオレを誘わなかったんだよ」とお叱りのメールが三通ばかり届いた。入り口や捉えかたはそれぞれ違えども、あの声、あの吐息に多くの人々が魅了されていたということだろう。

 予定外の休みとなった本日。八代亜紀の生きた証を一目見たいと思い立ち、防府市へとクルマを走らせた。


 学問の神様として知られる「防府天満宮」。その一角に八代の代表曲「なみだ恋」の歌碑がある。作曲者で防府市出身の鈴木淳が前宮司の弟という縁で2020年に建てられた。除幕式には八代も列席し「なみだ恋」を歌った。
 昭和の時代、多くの演歌/流行歌手がそうであったように八代もなかなか芽が出なかった。「なみだ恋」はデビュー3年目1973年の4作目のシングル。作詞はのちに鈴木の妻となる悠木圭子。二人の愛の結晶とも言うべきこの歌と出逢い、八代はスターへの階段を歩みはじめる。
 
 夜の新宿/裏通り/肩を寄せ合う/通り雨

 寄木細工のようにピタリとはまる七五調の歌詞は読むたびに情景を鮮やかにする。七七調に形をかえるところがスパイスであり、ここに極上の言の葉がちりばめられる。

 逢えばせつない/別れがつらい(1番) 
 冷たい風が/二人を責める(2番) 
 何故か今夜は/帰したくない(3番)

 歌碑を読んでいくうちに、うるうるしてしまい、あぁ、これはいかんと周りを見渡すと、同じような面持ちで見つめる老夫婦がいた。「いい人だった」「惜しいね」。今度はもらい泣きした。

 2019年の宇部公演では東京在住で当店のお客様でもあるSさんが企画に携わっておられた。積み木のようにコンサートを作りあげていくワクワク感をお福わけしていただいた。当日は二階ど真ん中の「特等席」を用意していただいた。隣の席にはSさんのお友達で品のよい女性が来られしこたま照れたり嬉しかったり。あの日を思い出す。


 防府から帰宅後、本日もうひとつのイヴェント。宇部市松島町のライヴハウス「BIGHIP」へ。友人の森本哲也がロックアレンジで八代亜紀を歌うインプロビゼーションに立ち合った。もとよりソウルのグルーヴを持つ「おんな港町」の他、よい歌と演奏。「舟唄」のダンチョネのパートは力感に溢れていた。

 歌は世につれ、世は歌につれーー。ほこりをかぶった昭和ワードがふと頭に浮かぶ。時代はやがて終わりを告げる。しかし歌は人々の心に生き続ける。八代亜紀は最後の瞬間まで時代と共に生きた。過去の人となる辛さを誰もが感じはじめている。

文・奥瀧隆志


※2016年3月7日付コラムの一部を引用しました。

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