惜別 中利夫

 中日ドラゴンズで選手、監督として活躍した中利夫(なかとしお)氏が死去した。87歳。

 昭和40年生まれの我々には「高木守道より一つまえの世代のスター」。つまり既に引退した選手だった。「通算81三塁打」の記録だけはなぜかよく覚えていて、これは今なお破られていないセリーグ記録である(※現役最多は後輩の大島洋平の54)。
 昭和35年に盗塁王。昭和42年には王貞治をおさえて首位打者。「職人肌」で「巧打者」。のちのチームカラーの先鞭をつけたレジェンドだった。

 昭和52年オフ、与那嶺要に代わって監督就任。我々はここでようやくリアルタイム。しかし成績は振るわず、5位、3位、最下位と低迷。55年オフに更迭された。あとを受けた近藤貞雄が57年にセリーグ優勝とあっては分が悪かった。
 
 サインは昭和53年に広島市民球場でいただいた。当時、この球場では巨人以外のビジターチームのファンは数えるほどしかいなかった。私の青い帽子はかなり目立ったのだろう。試合前の練習を眺めていたら一軍マネージャーさんがフェンス越しに話しかけてくれた。
 「おや?うちのファンかい?珍しいな。よし、サインをもらってきてあげよう。ここで待ってな」。星野仙一、高木守道、谷沢健一、鈴木孝政ーー。最初のページが中利夫監督だった。

 その広島の地が中利夫の第二の故郷となろうとは夢にも思わなかった。昭和62年、広島の二軍打撃コーチとして招聘。平成元年からは二軍監督を務めた。前田智徳が中を師と仰いだことはよく知られている。「名選手、名監督にあらず」を覆した鮮やかな三塁打だった。


文・奥瀧隆志


※10月17日付でfacebook、Instagramに掲載したものを加筆しました。



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