惜別 ハンク・アーロン
1950年代から70年代にかけてミルウォーキーの二つの大リーグチームで活躍したハンク・アーロンが死去した。86歳。アトランタブレーブスが公式ホームページで発表した。
通算ホームラン記録「歴代2位」のキャプションが今なお腹立たしい。前人未踏と云われたベーブ・ルースの持つ715本の記録を破り、通算755本で76年に引退した。その記録を07年にバリー・ボンズに破られたから「2位」だという。ボンズの記録に「薬物使用疑惑」のアスタリクスが付くことは周知の事実である。
アーロンはボンズとは比べ物にならないプレッシャーのなかで記録を達成した。黒人差別は卑劣さを極めていた。ルースの記録を破ったら家族を殺すという脅迫に屈することなくアーロンはダイヤモンドを一周した。
我が国では74年暮れに日米野球のエキシビジョンとして行われた「王貞治vsハンク・アーロン」のホームラン競争が思い出深い。10本対9本でアーロンが勝利。自伝を児童文学書で貪るように読んだ。王はその後ルースの記録を破り、ついにアーロンをもを超えた。「世界記録」として認め、王の偉業を心から讃えたアーロンのスポーツマンシップに対し、日本人は今こそ感謝すべきだろう。我々小学生はアーロンに頭を撫でられたような気分だった。ますます野球を好きになった。
数々の名シーンをYouTubeで貪るように観ている。ふと思い出すのは、横浜元町にかつてあった「ハンク」という名のレストランのことだ。大リーグがまだ一般的ではなかった時代に、店内を丸ごとボールパークに仕立てた夢のような空間だった。アーロンの肖像画があったような、なかったような。記憶はセピア色に染まってゆく。世界のホームラン王が逝ってしまった。
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