惜別 村田兆治
村田兆治さんが亡くなった。9月の羽田空港での出来事がずっと気にかかっていただけに言葉にならなかった。
ニュース、新聞でその功績が称えられた。右肘の故障から奇跡の復活を遂げた85年シーズンの活躍。引退後の少年野球の熱心な指導。数々の名シーンが映し出される。「サンデー兆治」、「昭和生まれの明治男」、そして「マサカリ投法」。多くの代名詞を残したスター選手だった。
同時に思い出されるのは82年シーズンオフの「阪神移籍志願」の一件である。カクテル光線に鮮やかに照らし出されるセリーグで晩年の選手生活を望んだが夢は叶わなかった。FA制度も何もない時代。客席もまばらなパリーグで投げ続けた不屈の精神力、プロフェッショナリズムこそが、この人の真骨頂だった。
写真は79年8月15日。対南海戦、大阪球場、試合前のブルペンでの一コマ。鬼気迫る剛速球を今も体がおぼえている。
0コメント