映画評「ボヘミアン・ラプソディ」*予告編程度にネタバレあり
イントロ:
クイーンが嫌いだった。洋楽の素養のない中学生にとってそれは因数分解か何かだった。クラスでただひとり、トシエちゃんという女子がクイーンに熱をあげていた。高校生のお姉さんの手ほどきがありありと窺えた。ある日のこと、借りた消しゴムをどこかへ失くしてしまい彼女を怒らせた。そんなこともあってクイーンのことがますます嫌いになった。
クイーンの伝記映画が公開されると聞き、何故だかまっ先に脳裏にポツリと現れたのはトシエちゃんだった。おませだった彼女。心のiPod には今もスカラムーシュやガリレオが棲んでいるのだろうか。
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1970年。ロンドン・ヒースロー空港から物語ははじまる。旅客機から荷物の運び出しに四苦八苦するひとりのバイト青年がいる。ファルーク・バルサラ。のちのフレディ・マーキュリーである。幼少期に故郷インドから着の身着のまま家族でロンドンへ移住。敬虔なゾロアスター教徒である父とは衝突が絶え間なく、日々フラストレーションを抱えている。
ある夜のこと。この日も父親の手を振りほどくようにして出かけた先はナイトクラブだった。はじめて目にした地元バンド「スマイル」はなかなかカッコよかった。終演後、そのことを直接伝えたくメンバーのもとを訪れるが、メンバー両名、ブライアン・メイもロジャー・テイラーもなんだか元気がない。訊けばたった今、リード・シンガーが脱退したばかりだという。フレディはその場で後任シンガーに立候補。呆気に取られるメンバーをよそに即興で一曲歌ってみせる。これがクイーンのはじまりとなる。と同時にーー。会場で出会ったひとりの美女、メアリー・オースティンとの長い長い付き合いのはじまりとなった。
苦労話が出て来ない。愛憎劇にも縁がない。瞬く間にビルボードチャートを席巻し、世界征服していく様子がアップテンポに展開される。メンバー四人は異常なほど仲が良く、ジャニーズドラマを見るかのよう。「ボヘミアン・ラプソディ」が出来上がる過程はコンソールボックスから思わず身を乗り出す。ところがEMIの幹部レイ・フォスターから「6分もの長尺のこの曲はシングルカットにふさわしくない」としてダメ出しを喰らうシーンにとくべつドラマ性を感じない。そもそもこの「フォスター氏」は映画用の架空人物。脚色が必要なほどバンドは順風満帆だったと捉えるべきか。
後半はぐっとシリアスさを増す。肝となるのはフレディのセクシャリティ。それによる妻メアリーとの関係性の変化。そしてーー。ある日突然訪れる自分自身の変化。狂おしいまでに愛を求め、満たされずに生きてきたスーパースターの孤独がスクリーンいっぱいに映し出される。フレディ役を務めるのは米国の俳優ラミ・マレック。ステージでの形態模写も然る事ながら、それ以上にフレディの心の内を見事に演じ切ったことが映画のグレードを確かなものにしている。
苦言を少しだけ。史実と異なる点が多々ある。「演出」と捉えればよいことが、後半の重大な局面で時系列を組み替え、強引にハナシをこじ付けた点はいただけない。「劇的なサムシング」を求めるあまり、全体の品位を落としている。
ハイライトは1985年7月13日にロンドン郊外「ウェンブリー・スタジアム」で行われたアフリカ難民救済コンサート「LIVE AID」の完全再現。現地に7万人を動員し、衛星中継で世界20億人が観たという、クイーンの歴史の中でも屈指のパフォーマンス。それだけに「まがいもの」がどこまで近づけるのかという危惧があったが、まぁ、とにかく、素晴らしかった。これが演じられなければクイーンの映画にはならない。制作に全面協力したブライアン・メイとロジャー・テイラー両名の尽力であり、天国のフレディが神の手を差し伸べているようにも見えた。
歌詞が、フレディの言葉が、突き刺さる。こんなにも愛が溢れていたことを今まで知らずにいた。身体に入れるようにして聴き入った。「家族愛」を描いた映画である。心から愛する人と観たい映画だ。
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アウトロ:
映画公開に先がけ、雑誌で、ウェブで、数多くのクイーン特集が組まれ、ちょっとしたブームに沸く平成最後の秋である。70年代末、日本でのクイーンの人気は凄まじく、75年4月の初来日では羽田空港に3000人ものファンが出迎えたという。仕掛け人は当時「ミュージック・ライフ」編集長の東郷かおる子氏。氏の直感が無名の新人バンドをスターダムに押し上げたことを今回、いくつかの記事ではじめて知った。
星加ルミ子氏にはじまり、水上はる子氏、東郷かおる子氏と、「ミュージック・ライフ」は女性三名が編集長のバトンを受け継いだ歴史がある。勢いあまって言わせてもらえれば、女子の精鋭が世の女子のためにロックミュージックを発信した歴史があったということだ。まえがきに登場したクラスメイトのトシエちゃんのアンテナがクイーンを捕らえたのも、少女漫画のようなクイーンが可愛かったからだろう。
我が山口県はクイーンが来日公演を行った誇るべき歴史がある。外タレはもちろんのこと国内のアーティストまでもが広島と福岡のあいだに何もないかのように我が県を通過していく。「山口県はトイレ休憩地」とまで揶揄されるなか、クイーンは山口盆地へ降りてきた。多くの女子の熱心な草の根運動があったことは言うまでもない。
夜勤明けだというのに、衝動に駆られ、「山口県立体育館」のあった場所へとクルマを走らせた。ずいぶん前に取り壊され、いま跡地に「山口情報芸術センター」が立つ。職員の方に尋ねると、かつて建物のあった場所を教えてくれた。縁を示すものは何ひとつ残っていない。瞳を閉じ、”We Will Rock You”の地鳴りを想像してみる。39年前と変わらぬ風がただ吹いていた。
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