朝日新聞モニター体験記 第一話

 朝日新聞紙面モニターの任務を三月で終えた。09年以来四年ぶり二度目。半年間計12回、今回も皆勤賞である。
 
 開始直前の昨年10月に父が死去――。辞退も考えたがなにか書くことで気晴らしにもなるだろうとはじめた。
 思えば父は新聞が好きで政治に明るくニュースの読み解き方をよく教えてくれた。それはけっきょくのところ死ぬまで続いた。48歳にもなって政治面をろくに読めないオトコがよくもまぁ選ばれたものだが「ハッタリの効いた筆致」がプロをも惑わすことに自信を持とう。

 全国約300人のモニター員がAB二班にわかれ一週づつ交代で担当。「最もよかった記事」「難点のある記事」の二つのレギュラー課題に加え、そのときどきの時事ネタがピックアップされ報道の良し悪しを問われる。
 よい記事を探すのは容易いが、難点のある記事は粗探しをするようで気が引ける。時事ネタは大半が政治面からである。「クリミア半島をロシアが併合したことをめぐる報道」について私が語ったところで誰もそれを読みたいとは思わないだろう。それでも国際政治ジャーナリストに成りすまして書くのである。

 朝日新聞のウェブサイト専用ページに毎週金曜日「参考になった感想文」が掲載される。これが「通信簿」的効果となりモニター員の意欲を高める。
 四年まえは選出二本。今回は五本が選ばれ嬉しいやら穴があったら入りたいやらだった。そのうちの一本は締切り目前の執筆中に友人から酒場へおびき出され、我を忘れてドンチャン騒ぎをしたのちに泥酔状態で仕上げたモノである。逆に物凄い熱量で書いた「ソチ五輪」があっさり選に漏れたりなどする。「ローリングストーンズのライヴレヴューがとんちんかんだった」と斬り捨ててしまい翌朝激しく後悔したり、高校野球の女子マネージャーの心温まるエピソードに感泣したり。悲喜こもごも。いろいろなことがある。
 
 ふた月に一度、すべての感想文から三本が選出され、実紙「オピニオン面」に名前入りで紹介される。これを今回も狙ったが夢は叶わなかった。私の書いた「安倍晋三靖国参拝報道の死角」を読みたいという方は…おそらく誰もおられませんね。

 部屋の隅にうずたかく積み上げられた古新聞の量が激務を物語る。任務を終えると新聞を読むという行為がいかに穏やかなものかを実感する。と同時になんだかさみしくもある。
 すると――。「OBの方々に新たなモニター制度があります。応募されますか」とのメールが来た。まぁ、運だめしにと「はい」と返事しておいたところ――あっさり選ばれてしまった。これはつまり…その…当分ヒマには暮らすなということであろう。バンドメンバーにはとりあえず黙っておこう。
  
 採用された感想文は「文意を変えずに編集」がされる。さすがのエディットであり草稿が記事となる魔法を見るかのようだった。
 「編集された感想文の著作権は朝日新聞に帰属します」とのことでつまびらかにできない決まりである。最後に今回の自信作(オリジナルまま)を紹介したい。川上哲治氏死去の報道に寄せて(2013年10月31日付朝刊)。あぁ、オクタキはいつの打席でもリキんで振り回してるんだなと感じていただければ本望である。


誰が評伝を書くのか――。前夜から気になっていた。運動部往年のエースのサプライズ登板に思わず胸が熱くなった。「打撃の神様」への最大級の敬意。読者が何を読みたいかを念頭にOB記者を起用した判断こそすばらしい。多摩川グラウンドの土の匂いまで伝わる冒頭のエピソード、バッティングを科学的に研究していたという秘話などすべてがスペシャルだ。「長嶋茂雄、王貞治が登場する前のプロ野球最大のスターだった」という一文は川上の名前を知らない若い世代にも強く訴えかけたことだろう。日本にプロ野球が誕生しもうすぐ80年の節目を迎える。レジェンドを後世に伝えていく語り部としての使命が新聞にはある。この記事を読めたことを野球ファンとして幸せに思う。(山口県・男性・40代)

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