惜別 Marty Thau

 米音楽プロデューサーで70年代末パンクロックの誕生に貢献したMarty Thau(マーティー・ソウ/タウ)氏が死去した(米国時間2月13日)。75歳だった。

 単行本「RAMONES FILE」(シンコーミュージック)の仕事で私がソウ氏にメールインタビューを行ったのは04年末のことだった。「NEW YORK DOLLSの仕掛け人」はあまりにも有名な肩書き。同時にRAMONESを初めてプロデュースした人物でもある。なんとしてもハナシを訊いてみたかった。
 まず音楽ライターの関口弘氏よりミリアム・リナ氏(NORTONレコード)を紹介していただいた。ソウ氏がかつて主宰したRED STARレコードでリナ氏が秘書を務めていたという逸話を関口氏の記事で知っていた。facebookなどない時代にそれはほとんど唯一の手がかりに思えた。リナ氏からの返事が届くよりも先に"Marty Thau"のなまえが新着メールボックスにあらわれた。
 ベールに覆われていた自身の経歴、NEW YORK DOLLSとの出会い、そしてRAMONESの思い出――。実に多くのことを訊かせてくれた。落ち着いた文体で丁寧に綴られていた。そしてなによりも「どんな言葉が誌面に映えるか」を知り抜いた音楽ジャーナリスト一流の回答だった。やや「おじいさん口調」にしてみたのは私の脚色である。
 
 NEW YORK DOLLSとRAMONESのほかにも、SUICIDE、REAL KIDS、FLESHTONESなど多くのバンドのデビューに一役買った。STRAY CATS結成以前のブライアン・セッツァーを初めて世に紹介したことも高く評価されるべきだろう。しかし、それらについてはあまり関心を示さず、NEW YORK DOLLSの思い出を熱く、愛情深く語っていたことが印象に残る。
 ニューヨークの地下住人でありながら「アンダーグラウンド」を安住の地とせず絶えず「ヒット」への上昇志向を持ち続けていた――というのがもうひとつの印象。「ビルボード」紙の社員としてこの道に入ったソウ氏。"RED STAR"はビルボード・チャートの「赤丸急上昇」にちなんだ名である。
 
 取材時はヴァージニア州で隠居生活。孫に囲まれ絵に描いたような好々爺だった。しかし「最新のヒットにはいまも耳が反応する」と自信を覗かせた。
 取材後も「タカシ、この音楽を聴いてなにを感じる?君ならどう評するかね?」とmp3ファイルをメールで送ってきた。ずいぶんと厄介な「ゼミ」に入れられちまったな…というのが当時の率直な感想。その後メールが途絶えたことが悔やまれる。REAL KIDSのデビューアルバムの制作秘話として得られたのは「あれは一発録りだ」というだけだった。

 リナ氏に「ソウ氏をひと言で譬えるならどんな人物?」と訊ねたところ、「ひと言じゃ足りない!二つにして!」として返ってきた答えが「才能ある天才」だった。天国のホテルにチェックインし、このクニのバンドと出会うべく「ヴィレッジヴォイス」に赤ペンを走らせている頃だろうか。

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