ライヴレヴュー:二階堂和美
DJマッシーのレコードショップ「flowers of romance」のオープンから三ヶ月。昨夜、記念イヴェントとして二階堂和美さん(以下敬称略)を迎えインストアライヴが行われた。お伽噺のような一夜だった。
高畑勲監督「かぐや姫の物語」の主題歌を歌った歌手。そのカリスマがなぜこんなところでーー。多くのファンが臍(ほぞ)を噛むことだろう。二階堂の歌手としてのスタートは山口大学時代に遡る。軽音サークルに入り、女性ふたりのユニットをはじめた。同じサークルにマッシーがいた。スリーピースバンド「ひなげし」を率いて破茶滅茶なライヴを学内外で展開していた。マッシーは二階堂のヴォーカルに惚れ込み、二階堂とキーボードのしほの二人をまんまと誘い込み「ひなげし」の第二幕がスタートする。1996年の出来事。
私が彼女と初めて会ったのは自分たちのライヴの打ち上げの席だった。エイゾウさんとゾエさん、この街の二人の要人からこんなふうに紹介された。「こちらが二階堂さん。オクタキくん、このヒトのライヴは見ておいたほうがいいよ」。湯田温泉のライヴハウス「ラグタイム」でローラ・ニーロやキャロル・キングを弾き語りしているという。舞台女優のような優雅な微笑を湛え、ときに少女のように大きな口で笑い、人懐こかった。
二階堂をフロントに立てたひなげしはコンテストにも積極的に進出、快進撃を見せる。しかしあえなくバンドは解散。大学生バンドの宿命とも言うべきタイムリミットだった。マッシーはDJとしての活動に舵を切った。二階堂はーーやはりホンモノだった。メジャーのフィールドへと羽ばたいていった。
あれからいったいどれほどの刻が流れたのだろうーー。私は二階堂の密かなファンとなり、近隣でのライヴに足を運んだ。しかし会場にマッシーの姿はなく、なぜだかそれがとても寂しかった。だからこそ今回の客演は雨上がりの晴天のように清々しかった。ミラクルしほのシーンカムバックが後押しした。
THE ROZWELLSのカクヨウジ、シノワのリードヴォーカル・カオリさんがオープニングアクトを務めた。共に山口県のシーンを代表するベテランであり、カクは二階堂とは言わば「同窓生」。カクらしい毒花を添えた。赤い衣装とバレエシューズに身を包んだ正真正銘「二階堂和美」が狭苦しいバックヤードから姿を現した。
ホーミーのような不思議な喉の響きと、澄み渡る美しい声で、ときに男性的に朗々と歌い上げる。五臓六腑に染み渡るとはこのことで、オーディエンスの全神経が矢のように向かっていくのがわかる。破格の実力。
ストーリーテリングで映像的なリリック。喫茶店の女主人が店を畳む決心を友人に打ち明ける「ネコとアタシの門出のブルース」は実体験を元にしている。昭和歌謡曲の作り手たちがこぞってリタイアしてしまっている現実に「腹が立つ」と語る。「残念に思う」ではなく「腹が立つ」と語気を強めた。広島県大竹市での田舎暮らしのなかで、市井のお年寄りとの交流や、亡き父が残したレコードと接することで、昔の流行歌の良さを再認識したという。リヴァイバルという安易な発想ではなく、古しきゆかしく歌を編む。
ミラクルしほがアコーディオンで参加。ついでマッシーもギターで登場。ひなげし時代の曲を紐解く特別なセット。マッシーのソングライターとしての実力、そしてスカウティングの確かさは、今の彼のレコード屋稼業に役立っていることを実感した。
浄土真宗本願寺派の僧侶でもある二階堂のMCは法話のようで、歌同様に引き込まれる。宇部市にもゆかりがあり、幼少期を宇部市桃山の祖父母宅で過ごしたという。東京から大竹市へ戻り、実家の寺での暮らし。歌手としての活動に気持ちが萎えた時期もあったという。高畑監督から映画主題歌のオファーがあったのはちょうどその頃だった。「あなたはまだこれからもやらないといけない」。背中を押されたと話す。その「いのちの記憶」をラストに歌った。ピアノの代わりに小さな木箱のオルゴールを操り、愛しむように歌った。
終演後、あちらこちらで人の輪ができた。懐かしむ人たち。興奮の面持ちのファンたち。輪の真ん中に太陽のような笑み。私のリクエストで1996年の宇部PRETZEL EAT ROCKERSを再現、記念写真を撮らせてもらった。ひなげしから二階堂和美、ミラクルしほ、マッシー。青春不良楽団からカクヨウジ、そしてBANANA ERECTORSからnutこと私オクタキタカシ。25年ぶりの再会を祝して。これからの未来を夢見て。
文・奥瀧隆志
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