アネット・ファ二セロ三回忌に寄せて
昨日は米歌手アネット・ファニセロの命日だった。2013年4月8日没、70歳。
日本で言うところの三回忌。特にこれといったニュースは伝わって来ないが、米オークションサイト<ebay>を通じて遺品が販売されている。これがファンの間で大盛況。「100%チャリティー」という趣旨に彼女自身の意志が伝わり、清々しい気分にさせてくれる。庶民のアイドル・アネットらしい「形見分け」だ。
一昨年の追悼記事にも書いたことだが、我々世代は92年(平成4年)の初CD化でアネットに親しんだクチである。オリジナルアルバム6種に日本独自編集のベスト盤を加えた計7枚は、米本国でこしらえられたものよりもはるかに素晴らしいパッケージだった。
同年9月号の「レコード・コレクターズ」に長門芳郎氏によるインタビュー記事が掲載された。伝説に触れることへの興奮――。いや、それよりもいまの彼女のありのままに心がほっこりにした。飾ることなくどこまでも等身大だった。
「最近気に入っているアーティストは」の問いにホワイトスネイクやメタリカの名を挙げた。息子からの影響だとあっけらかんと答えている。
「息子は私の昔のレコードを聴こうともしないけど、私は息子の持っているレコードをよく聴くの」
彼女のこんな一面を知っているのは日本のファンだけかもしれない。ますますアネットのことが好きになった。「多発性硬化症」の病に侵されていることが公表されたのはそれから間もなくのことだった。以降20年にも及ぶ闘病生活。さぞかし辛かったことだろう。いまもこの思いが晴れることはない。
YouTubeリンクはBEACH BOYSとの夢の共演、今でいうところのコラボである”Monkey’s Uncle”。我々のバンドでもカヴァー候補となったが「オクタキにはこのコーラスはとうていムリ」という失礼な理由で却下となって”Druggin’ USA”が選ばれ2ndシングルB面に収録された。
またも最後は自分のハナシとなった。バンドの思い出とリンクし切り離すことができない。「90年代のアネット」は身内のように思えてしまう。大切な大切なヒトである。
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